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19)「斬り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ」
▲宮川宗家の勇武館では、新選組近藤勇局長が精進したであろう稽古が、今もそのご遺族宮川宗家によって行われている。た |
新名宗家 あれだって、外されたら終わりです。そこでどうやったら外されないか。柄をすっとずらしさえすれば10cmは変わる。
宮川宗家 間合いがまったく変わりますね。
新名宗家 片手一本で滑らせれば、まったく変わりますよね。そんなことばかり考えます。下がれば斬られる、とかですね。
宮川宗家 前に、ですね。
新名宗家 一歩前に踏み込めば斬られない。柳生石舟斎の「斬り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ 一足ふみこめそこは極楽」あれは剣の真理を表した素晴らしい歌なんじゃないかと思います。相手はものうちで斬りたいのに、それより中に入ってしまうわけですから。
宮川宗家 理心流では打太刀が仕太刀に先をとられて下がる。一歩出て居直ると言います。確かにそうでなければ斬られるし、一歩踏み込めば生き残る道があるんでしょうね。
新名宗家 一歩前に出るのは入り身です。入り身ならもう相手の大刀の間合いではなくなってしまう。
21)天然理心流 「五月雨剣」
宮川宗家 理心流で剣術、柔術があり、小具足という形の入り身の位があります。その入り身が綺麗に入れると形がスッと決まります。新名宗家のお話と同じく、命のやりとりで重要なのは入り身の問題ですね。五月雨剣というのが理心流にはあります。佐藤彦五郎さんが残した伝書によれば、仕太刀は上段から一歩前に出て平正眼。押し込んで打太刀左小手を打つ。返して相手の右面、左面、右小手を打つ。左面右面を打つ。左小手を打ち、右小手を打ち、上段になりお互いの面を打ち合いすれ違う。振り向いて相手が乗っ込み打ち来るを払って面を打って居直る、と書かれています。反撃の暇がない。
新名宗家 そうすると、それが沖田総司の三段突きになったんですかね。
宮川宗家 そうかもしれませんねえ。三段突きと言いますが、五月雨剣の変形で構えなおす隙を与えなかったのかもしれません。彦五郎さんはそれを見て、あまりに早かったので「三段突き」と思ったのかもしれませんね。
新名宗家 突くのも、何もからだではなく手でもどこでも突く場所はいいわけですからね。ちょっと捌いて突けばいい。
宮川宗家 そうですよね。小手をとったのが突きに見えたかもしれませんしね。開いて打ち直しているかもしれませんしね。
新名宗家 そんな動きをされれば逃げようがありませんしね。
武田 宮川先生、誤解があったらいけませんのでここで言っておきますが、みんながみんなそんな稽古をしているわけではありません。本当にごく一部、ようやくレベル的にもいけるようになってきた一部だけです。入口はだれでもできるように広く、簡単なように教えるよう気をつけています。
宮川宗家 なるほど。
新名宗家 無外流は元々剣術ですから、組太刀も、刀の合理的な扱い方を理解できなければなりません。
宮川宗家 いいですねえ。
22) 龍源寺の松原哲明和尚
新名宗家 宮川先生の夢録に近藤勇の菩提寺として龍源寺の名前が出てきたので驚きました。同名のお寺が三田にあり、私はそこに行っていましたから。
宮川宗家 どういうお寺だったんですか?
新名宗家 三田にある臨済宗の寺ですが、そこの松原泰道和尚、そのお子さんの松原哲明和尚とおつきあいさせていいただいていました。「かわかない心」という哲明和尚のご著書を読んで感動し、会社からすぐに電話をかけて、哲明和尚に会いに行きました。
宮川宗家 そりゃまた気の早い(笑)。
新名宗家 (笑)。「20分だけ時間をくれ!」と押しかけたんです。その後、居合の顧問になっていただきました。
宮川宗家 ほう。
新名宗家 和尚は、流祖辻月旦が参禅していた吸江寺の住職も兼ねていました。
宮川宗家 ご縁というのは不思議ですねえ。国学院の裏ですね?
23)吹毛会誕生秘話
新名宗家 ええ、そうです。「和尚は吸江寺の住職も兼ねているんだから、無外流の会の名前も考えてくれませんか?」と頼んでつけてもらった名前が「吹毛会(すいもうかい)」なんです。無外流という名前もそもそもたどっていけば中国の碧巌録(へきがんろく)から来ているんです。
武田 碧巌録というのは何ですか?
新名宗家 中国の仏教書です。臨済宗では特に大事にされている。そこで会の名前も同じく碧巌録から選んでくれました。
僧巴陵に問う
如何なるか是れ 吹毛の剣
陵曰く
珊瑚枝々 月をとう著す
そうはりょうにとう
いかなるかこれ すいもうのけん
りょういわく
さんごしし つきをとうじゃくす
という一節から来ています。
武田 すみません、これを読む方のためにも解説をお願いしていいでしょうか。
新名宗家 羽毛が飛んで来ても自然と二つに斬れるほどの、凄い斬れ味の剣『吹毛剣』とは何か、というのが問です。その答が、「珊瑚枝々 月をとう著す」なんです。珊瑚の枝々が、月の光を浴びてキラキラ光っている、というのが答なんだけど、「和尚、吹毛の剣なのに、なんで珊瑚に月ですかね。私はこの意味がわからん」と言ったら「それが禅だ」と言われましたよ。
宮川宗家 (笑)。そう言えば松原泰道先生が書かれた般若心境の本を読んだことを思い出しました。不思議なご縁ですねえ。深いものを理解しようと考えること、求めようとすること、それは武道を志すものにとっては避けることができないのかもしれませんね。
23)稽古を重ねる日々でしか生まれない思い出がある
新名宗家 ご縁ですねえ。北軽井沢に日月庵という、龍源寺の修行する場所がありました。1000坪くらいの土地に合宿できるところがありました。洗心庵という名の風呂場があり、座禅堂もありました。「和尚貸してくれ」と頼むと「一日3000円でいいぞ。あとは自分達で飯作って勝手に使え」と言われて鍵を預かり、よく合宿で使いました。和尚も時間を作って車を飛ばして来てくれる。終わったら車を飛ばして帰る。平林寺という寺の若い住職もつれてきてくれました。でも座禅になると見事なもので、まるで「岩」です。絶対に追いつかないと思いました。あのとき聞いた雨の音や鳥の鳴き声は今も私の財産のように思います。
宮川宗家 稽古を重ねる日々でしか生まれない思い出がありますね。それは宝物です。じゃあ、近藤勇の菩提寺、龍源寺という同じ名前を聞かれて驚かれたでしょう。
新名宗家 ご縁だと思いました。
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