十二 天然理心流×無外流 特別対談 第13回の夢録は、天然理心流と無外流の両流派宗家の特別対談 後編を、 前編、中編に続き、お送りします。 かたや、幕末の京で一世を風靡した天然理心流九代目 (新選組の近藤勇局長は四代目宗家) の宮川清藏勇武宗家。 かたや 新選組三番隊組長斉藤一が使ったと言われる無外流 関東最大の一門明思派を率いる新名玉宗宗家。 新選組が京にのぼった文久三年創業の日本橋の料亭から 150年目の邂逅をお届けします! 内容が濃いため、前編、中編に続き、後編としてお届けします。(インタビュー 武田鵬玉)
天然理心流九代目宗家にして、新選組局長近藤勇の生家宮川家の方として見れば、まぎれもないご遺族。夢録四にご紹介した宮川豊治智正さんはお兄様にあたられます。 天然理心流勇武館館長でいらっしゃいます。 NHK大河ドラマ「新選組!」にも出演され、近藤勇、土方歳三、沖田総司らが修めた天然理心流について解説していらっしゃいました。
1948(昭和23)年10月2日大分県津久見市生まれ、 財団法人無外流、傘下15団体一門の長.。 関東最大、無外流明思派宗家 無外流居合兵道の修道者としては86年師範、96年免許皆伝。 98年範士、99年宗家継承(無外流明思派宗家の名乗りは2004年から)。 鵬玉会では最高顧問をお願いしています。
24)免許や免許皆伝の価値 武田鵬玉(以下武田) 今日は前々回、前回に続き、日本橋で文久三年から続く名店「とよだ」で天然理心流宮川清蔵勇武宗家、無外流明思派新名玉宗宗家をお迎えしています。 天然理心流 宮川清蔵勇武宗家(以下宮川宗家) 神社の宮司に居合、それも無外流が多いですね。大国魂神社の宮司さんもそうですね。 無外流明思派 新名玉宗宗家(以下新名宗家) 元禄の頃、あそこの方を養子にしたのが無外流の流祖辻月旦なんです。 宮川宗家 そうなんですか!?ご縁というのはつくづく不思議なものですね。しかし、無外流もいろいろ別れていらっしゃいますよね。 新名宗家 お恥ずかしい話です。 宮川宗家 天然理心流もそういう話はよくあります。ある程度やられて、ある程度の段位をとられたらご自分で〇〇会を名乗る、というのがよくあります。私はそういう場合には「それでは頑張ってください」という姿勢で向かうんです。こういうのは時代なんでしょうかねえ。 新名宗家 悲しい話ですよね。「免許や免許皆伝が簡単に手に入るとしたら、その価値やそんなものをもらうことも、そこに価値はあるのか?」と思います。 宮川宗家 そうですよね。 25)晩年の無外流中川士龍宗家
新名宗家 私の先生の塩川先生は、多くの武道を修められた方でした。その中でも空手がお忙しかった。これは塩川先生から直接聞いた話です。塩川先生は下関に住んでいらっしゃったんですが、無外流宗家の中川士龍先生が芦屋から下関にいつもいらっしゃるわけです。ところが塩川先生は空手で忙しかったから、「いつもいつも来られちゃ困るなあ」と。 宮川宗家 ほう。 新名宗家 そこで芦屋の近くに住んでいらした、ある先生に「相手をしてくれ」とおっしゃった。中川先生は今度はそちらに行かれるようになった。中川先生は昭和56年に亡くなられたんですが、54年に何人もの人に免許皆伝をあげられた。塩川先生の一番弟子の岩目地先生という、うまい方がいらっしゃいます。この方は昭和36年に免許を授与されています。でも、全剣連で「無外流に塩川あり」と言われたくらいに上手かった塩川先生や、その岩目地先生をさしおいて、免許皆伝を与えられた方がいるんです。 26) 天然理心流、宮川勇五郎宗家の撥雲館道場
宮川宗家 そういうケースは理心流にもあります。撥雲館という道場は、近藤勇五郎(近藤勇の甥。宮川家から近藤勇の娘たまの婿になる形で養子に入り、天然理心流四代目宗家近藤勇の跡を継ぎ、五代目宗家となった)が建てた道場です。宮川家の裏山から木材を伐りだし、門人の大工が作ったんですが、食事を用意したり風呂を準備したり、身の回りの世話をしている門人がいました。それがいつの間にか免許皆伝だ、となったものですから他の門人から何やかやと言われるようになったそうです(笑)。 新名宗家 どこの団体でもあるんでしょうがねえ。 宮川宗家 古武道には多いですね。その中でも無外流は団体も大きく、有名であるがゆえに多くあるのかもしれませんね。 新名宗家 天然理心流にくらべれば、有名なんておこがましいです。今の時代、実力がないまま八段だ九段だ、はたまた十段だ、という肩書きだけ手にすることがまかり通っていますが、本来この世界は実力勝負ですからねえ。 宮川宗家 武田先生も、この宗家のお傍で稽古できるのはうらやましいですねえ。 武田 入門以来ご宗家にしごかれて幸せだな、と思います。 新名宗家 しかし、昔のような稽古をしたら大抵の会員はついて来ないでしょうねえ。 武田 武道の世界で大きな団体になれば、欲も出てくれば、損得で動く人もいるでしょう。それは人間の正直なところでしょうから、私は何も否定したくありません。でも、本来の武道というのは素晴らしいものです。日本人としてのアイデンティティを見つけられる武士道に最も近いものです。その魅力をこれから始めようかとご興味をもたれる方に伝えられるように頑張ろうと思います。それを継いでくれる次世代、子ども達が出てくれれば素晴らしいことです。 27)免許皆伝に書かれた○の意味 宮川宗家 武道というのは心です。結局正しいものが残っていくような気がします。ときの勢いというのはあるでしょうが、鼻高々になってはいけません。 新名宗家 なるほど。終わりがあるわけではありませんからね。実は、無外流の免許皆伝をもらったときに、単に〇を書いて「さらに参ぜよ三十年」と書いてあったんです。この〇の意味がわからなかったんです。それがずっと私の課題でした。ところがもう12,3年前でしょうか。初めてその〇の意味がわかりました。「ああ、こういうことか」 宮川宗家 ほう! 新名宗家 そして、無外流には「万法帰一刀」という最後の形があります。最後の形ではありますが、動きとしてはなんのことはない、鯉口を外切りして、走っていって、直前の間合いでスパッと相手に向かって横一文字で斬り、相手に「自分より上だ」と思わせて戦意を喪失させるんです。相手が逃げていくのをじっと見る。私はこの格好、動きだけはできる。できはしましたが、今一つ技の根源がわからなかった。それがわかったのが一昨年の1月4日。「ああ、万法帰一刀」というのはこういうことか!」と納得しました。やはりずいぶん時間がかかる。だからと言ってできるわけではない。そこからがようやくスタートですよね。 宮川宗家 そうですよね。終わりがありません。
新名宗家 私の居合が変わったのは、もう16年ほど前になりますかね、丸の内線四谷駅にポスターが一つ貼ってあったんです。 宮川宗家 なんのポスターですか? 新名宗家 縦1mくらい,横1m20~30cmくらいありましたか、ボイジャーが撮った写真で、粟粒くらいの地球が真ん中にありました。それを見たときに、「ああ、こんなちっぽけな地球の中でごちゃごちゃやっているのか」と思いました。その後、自分の身長が10mだったら、100mだったら、いや1万mだったらどんな刀を振るだろうか。仮に足をパッと出したらその足がハワイまで伸びた、そういうことがあったとしたら刀はどこまで伸びるだろうか。技がどう、とかではなく、心の変化と言うんでしょうか。そのとき以来、居合が変わりました。