夢録 
20  新選組三番隊隊長 斎藤一直系ご子孫
藤田さん

(後編)    
19  新選組三番隊隊長 斎藤一直系ご子孫
藤田さん

(前編)
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(後編)    
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(前編) 
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14  無外流居兵道 範士九段 第十五代宗家 塩川寶祥照成 先生 
13  天然理心流 宮川清藏勇武 九代目宗家   × 無外流明思派 新名玉宗宗家 
(後編) 
 
12  天然理心流 宮川清藏勇武 九代目宗家   × 無外流明思派 新名玉宗宗家 
(中編) 
  
11  天然理心流 宮川清藏勇武 九代目宗家   × 無外流明思派 新名玉宗宗家 
(前編)  
 
10  土方歳三 資料館 土方愛館長 
(後編)    
09  土方歳三 資料館 土方愛館長 
(前編) 
08  天然理心流 勇武館副会長 井上雅雄先生
(後編) 
07  天然理心流 勇武館副会長 井上雅雄先生
(前篇)  
06  天然理心流 宮川清藏勇武 九代目宗家
(後編)
   
05  天然理心流 宮川勇武清藏 九代目宗家
(前編)
04  新選組近藤勇 局長ご遺族 宮川豊治さん 
03   作家 島地勝彦先生 
02  無外流明思派 新名玉宗宗家
01 作家 北方謙三先生
 
 
   
 
 
 
   
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十九 新選組三番隊隊長 斎藤一ご子孫
藤田さん インタビュー 

■2017年3月18日、新選組のふるさと、東京都日野市の高幡不動尊で「新選組隊士 及 関係者尊霊 150回忌総供養祭」が開かれました。


▲「新選組隊士 及 関係者尊霊 150回忌総供養祭」総供養祭


■発起人は近藤勇、土方歳三、沖田総司、永倉新八、斎藤一ら(隊士職位、隊順)新選組の大幹部ご遺族。
さらに、かつて新選組をその庇護下に置いた会津松平容保公の直系、14代ご当主の松平保久氏が最前列に。

■その中、演武をしたのは近藤勇ご遺族を9代目宗家にいただく天然理心流勇武館と、無外流居合鵬玉会。
その日、あらためてご用意するとお約束したお食事の席をご用意、斎藤一直系のご子孫と遂に二人でお会いすることがかないました。

■どのような方もそのご家庭の風土の中でお育ちになられ、その考え方や行動、判断の仕方はその風土の影響の中にあるはず。その風土を作ったのはお父さまお母さま。そのお父さまもさらにお父さまがいらっしゃるわけで、今のご子孫のお人柄を通してみれば、ご先祖のご様子、たたずまいも想像できそうです。

■今回お話した中で、問題がなさそうな部分のみを抜粋してご紹介しようと思ったのは、そういう些細な話の奥に、ひいお爺様である新選組三番隊隊長であった斎藤一さんのお姿が見えるような気がするからです。

■ただし、ご子孫は表に出られることをあまりお好みにならない方なので、あくまで「藤田さん」としてご紹介したく思います。

(インタビュー 武田鵬玉)



藤田さん

新選組三番隊隊長直系のご子孫とついにお会いすることになりました。
表に出られない方なので、「藤田さん」とだけお伝えしますが、そのお話はぜひご紹介したい内容でした。




1)新選組三番隊隊長斎藤一直系のご子孫

藤田さん 無外流の免許を受けられたとのこと、おめでとうございます。

武田 ありがとうございます。肩書自体はまだまだこれからなので、偉くなったと誤解しないよう気をつけたいです。それより鵬玉会を通じて日本に武道を普及させたいという思いの方に優先順位があります。藤田さんは、ずっと海外にいらしたんですよね?そのお仕事の話をお聞かせ願えますか?

藤田さん ある自動車部品メーカー入社以来、20年間ほど生産技術部門で働いていました。米国工場設立の計画が持ち上がり、GMのある事業部とジョイントベンチャーを設立することになりました。貿易摩擦で日本へのバッシングが凄いころで、大変な時代でした。

武田 80年代ですよね?テレビで連日貿易摩擦のニュースが流れていましたよね。

藤田さん ええ。そこで輸出はしづらい。現地で作ろう、そこで雇用も創出しよう、と多くの企業が現地生産を目指しました。私のいた会社でも、「まず相手のことを知らなければわ始まらない」ということで、見に行きました。

武田 言わば斥候(せっこう;ものみ)ですね?(笑)

藤田さん (笑)行ってみたらスケールが全く違うのに驚きました。

武田 どこが違いましたか?




2)とにかく話し合うことが重要だ
藤田さん アメリカでは少ない種類のものを、大量に作ることで競争力が高まると考えます。日本では、数は少なくてもお客様の要求を満たす多種のものを、大量生産品と同じコストで作ることを考えます。そういう基本的な哲学の違いがあります。

武田 その解決は大変そうですね。方向性がそもそも違う、ということでしょうから。

藤田さん ええ。なかなか考え方が合いませんでしたから、進出しようとするどの企業も現地企業と一緒にやっていくのは大変だったろうと思います。

武田 一緒にやっていくために妥協点というか、折り合いはどうやってつけられたんでしょう?

藤田さん とにかく話し合うことでした。

武田 コミュニケーションですか。

藤田さん そうですね。徹底して話し合って、理解しあい、妥協点を見つけるしかないのだと思います。彼らは彼らで「これがいい」と思って何十年とやっていることがあるわけです。ある意味で世界最高の工業国であるわけですし。そんな彼らからしたら、日本では一桁、二桁少ない数のものを、彼らより高い生産性で生産するということは、彼らにとっては信じられないでしょう。思ってもみなかったようなことの繰り返しだったと思います。



3)満州で生まれて、混乱の中、3歳で日本へ
武田 お生まれはどちらだったんですか?

藤田さん 生まれは満州です。終戦の年に、3歳で初めて日本に来ました。

武田 !それは凄い!終戦の混乱の中、お父さまお母さまのご苦労は凄かったでしょう?

藤田さん 終戦が8月、日本に来たのが12月ですが、よく死ななかったなあ、と思います。

武田 お母さん、凄いですよね。手をちょっとでも離せば孤児になる可能性がある時代ですから。

藤田さん ええ。よく戻ってこられたなあ、と思います。

武田 お父さまは何をされていたんですか?

藤田さん 父は満州国の建設省に勤めていました。母は満州鉄道に勤めていた母の兄と一緒に向こうにいました。現地で見合い結婚をしたのです。

武田 ということは、お父さまや伯父さまは国家の仕事をされていた方たちですね。

藤田さん そうですね。

武田 斎藤一さんも会津松平容保公のもと、新選組はいわば当時の国家の仕事ですし、考えればエリートですよね。そういうご一族なんでしょうね。



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