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居合とは「出会いがしらの一撃で勝負を決する剣」
最初に「居合とは何か」を考えてみましょう。
無外流の大先輩、新選組三番隊組長斎藤一を居合の使い手として描いた小説があります。
文豪浅田次郎先生のその名作「一刀斎夢録」の中では、
居合を「出会いがしらの一撃で勝負を決する剣」と表現されています。
剣を抜いて「さあ来い!」と構える立ち合いと違い、刀は鞘のうちにあります。
ここから抜き打ちで斬るのが居合のロマンではないかと思います。
無外流の特色として中川士竜先生が紹介したエピソードを以下まとめてみましょう。
真剣勝負の気合 「剣を学ぶなら月旦」
水戸藩分家、守山藩主松平頼定が流租辻月旦に、
無外流は真剣勝負の気合で稽古をする旨を問いただしたと言います。
稽古を望む頼定の相手に、月旦は弟子の杉田庄左右衛門にさせました。
三度の打ち込みをとられ、最後は組み付いたと言います。
その後、頼定は若い大名に「剣を学ぶなら月旦がよろしかろう。
しかし月旦は最初から手ごわいので、とても長くは続けられまい」と言ったそうです。
「敵によって転化をなすは兵法の定理なり」
辻月旦の存命中の無外流は素面、素篭手による剣術が主、その中に居合を取り入れたと言います。
仇討のために居合を学ぶものには、抜きつけの初太刀のみ教えて、
ひたすらにその鍛錬をするよう求めるなど、常に真剣勝負が前提でした。
このような姿勢はその後も受け継がれ、土佐に伝播した系譜の無外流土方派の中でも有名な、
警視庁「三郎三傑」の一人川崎善三郎は「形なんか覚えんでもええんじゃ」と言っていたそうです。
これは極端なたとえであったでしょうし、居合形を軽視するものでもないでしょうが、
形に縛られてはならない、その場その敵に従って応じられなければならない、ということのようです。
「敵によって転化をなすは兵法の定理なり」
私たちは手順に縛られるのではなく、
形の本質は何なのかに迫る姿勢を持たなければならないのでしょう。
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