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HOME > 鵬玉会 > 夢録 > 十一 天然理心流×無外流 特別対談 > 十一 天然理心流×無外流 特別対談 2
5)中川士龍先生以降
新名宗家 無外流では中興の祖とされる中川先生がなんとか無外流を残そうと頑張られた。中川先生は日本居合道連盟を作られましたが、そこへ石井悟月先生が全剣連から400人程のお弟子さんと一緒にやってこられました。石井先生は、無双直伝英信流の河野百練宗家の後を継ぐだろうと言われたような方で、確かに大物です。中川先生は、もともとのご自分の高弟達がいたにも関わらず、わずか数か月で宗家を石井先生に継承させるということをしてしまった。
宮川先生 ほう。
新名宗家 宗家を譲ったところが、石井先生はすぐ全剣連に戻ってしまったわけです。そこで中川先生は立腹なさって、昭和36年に破門の回状騒ぎになってしまった。結局次代を誰に継がせるかをはっきりしないまま、1981年昭和56年に亡くなってしまった。
宮川先生 大変ですね。
新名宗家 私たちの無外流は、元々石井悟月先生の弟子であった塩川寶祥先生、糸東流空手の人ですが、この先生から学んだものなんです。塩川先生は石井先生と一緒に全剣連に戻ったものの、中川先生ともつきあいがあったんです。中川先生の無外流の特長は泥臭いところです。そこで石井先生と、これまた全剣連の大物で山口にいらっしゃった、居合道範士九段、剣道範士八段の紙本栄一先生のアドバイスを受け、無外流を洗練させていくわけです。
宮川先生 全剣連を意識されたんですか?
新名先生 そうなんです。全剣連の大会で勝てるようにしたんです。だから確かに美しくなりました。私はその無外流を学びました。昭和61年から東京で私は教えましたが、その美しい形だけではなく、それが実際に斬れて使えなければ駄目だ、と思い、徹底してきました。
6)「斬れる居合」にこだわって
▲池田屋跡 |
宮川宗家 形で斬ることにこだわられたんですね?
新名宗家 はい。まずは使えるのかどうかが問題だと思いました。新選組が池田屋で歴史的な戦闘をしますが、そういう修羅場であっても、私たちの居合は使えるのか。そんなことまで考える流派はなかなかないと思いますが、言ってみれば、それが今まで我々のテーマであったと思います。
宮川先生 本来伝えられたものは、実戦的なものであったでしょうしねえ。
新名先生 私たちがこだわったものは3つあります。まず組太刀です。相手があって打ち合うものですが、無外流は元々剣術であったので、組太刀が残っているんですね。次に一人でする居合の形。本来、居合の部分は「自鏡流居合」でしたが、無外流の人間しかしなかったと言われ、江戸の文献にもすでに「無外流居合」と書かれています。その居合の形。そして3つめとして「実際に斬ってみろ」という試し斬り。「組太刀」、「居合」、「試し斬り」というこの3つが全てできる、という武道を修めようというのが我々の無外流です。まあ、特殊ではあるでしょうね。
武田 ただ、別れられた会や先生方にもそれぞれ理由があるのだろうと思います。否定をしようとは思いません。これから始められる方には選択の自由があるのだと思っています。
7)まずは知ってもらって、門戸をたたいてもらうこと
宮川宗家 テレビ、映画では無外流を使う居合の使い手が多く出ますよね。
新名宗家 (笑)それはフィクションですからね。
宮川宗家 いえ、何が言いたいかというと、作り手側では、「居合」と言えば「無外流」をすぐに思い出すんだろう、ということなんです。
武田 そう認知されているということですね?
宮川宗家 そうです。それが重要なことなんですよね。
武田 新渡戸稲造は、欧米でモラルを形成したのがキリスト教だ、それに匹敵するものとして日本には「武士道」がある、と言いました。しかし、今やその「武士道」はまるで絶滅危惧種のようです。それを取り戻す入口として役にたつためには、まずは知ってもらって門戸をたたいてもらう必要があります。そう考えると、「居合」と言えば「無外流」を連想してもらえるとしたらいいことですよね。
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